· 

空しさからの解放

空しさからの解放


私は、1951年8月、石川県の田舎で3人姉弟の次女として生まれました。

神奈川県の看護学校を卒業して、働き始めてから2年目の9月29日、座間ホーリネス教会で洗礼を受けました。

看護学生の頃、クラスにとてもユニークなクリスチャンがいて、その人の声掛けで、近くの家庭集会に多くの看護学生が集いました。

ゴスペルフォークと聖書からのショートメッセージ、その後の茶菓をつまみながらの歓談のひとときはとても楽しく有意義な時間でした。
私は集会に参加するものの、すぐには「神様」とか「イエス様による救い」を受け入れることはできませんでした。
また、キリストが私の罪のために死んでくださったことなど、どうしても理解できませんでした。
十字架のメッセージに涙を流すこともありましたが、感情的に受け止めることではないという気持ちが働きました。
自分の人生は自分で切り開くものだ、と強がっていました。

また、なかなか自分で自分をコントロール出来ない弱さに苛立ったり、やけになったりもしました。

試験勉強をしなければいけないのにできなかったり、タバコをやめたいのにやめられなかったり、など。
ひとりになると、「空しい」「不安」といった感情が付きまとっていました。
そんな時、思い浮かんだのは、父のことでした。

父は若いころからギャンブル好きで結婚後も賭け事の為に職場で不祥事をおこしてしまい、一家は地元にいられなくなりました。

当時、母は小学校の教員をしていましたが、それも辞めざるを得なくなりました。
それから東京に移り住んだものの父のギャンブル癖はおさまらず、家族はとても苦労しました。母もいつのまにかタバコを吸い、パチンコにも行くようになりました。
私は、自分のふがいない姿を追求すると、「あの父の血が私にも流れている!」と思われて絶望的になりました。
看護師になってからも、礼拝メッセージに反発を覚えつつも、何故か心の満たしを求めて教会の集会に行っていました。

そして、23歳の夏、伊豆大島での青年キャンプに参加した時、最後のメッセージで信仰の決断に導かれました。

暑いプレハブの集会場で眠気におそわれているとき、隣にいた女性が、私の額にとまった蚊をたたいた時、「今日、神様を信じる人は手を挙げてください。」の呼びかけがなされ、反射的に手を挙げてしまったのです。
とまどった私を尻目に、一緒に参加した仲間たちは大喜びでした。
でも、私は手を挙げたことを撤回しようとは思いませんでした。
そして、神様にギブアップして、イエス様を、私の自己中心の罪から救って下さる救い主として信じる決心をしました。
信じてから開かれる世界があることを知りました。

今、「死」は「無」だとは思えないし、「虚しさ」から「不安」に駆られることはなくなりました。

結婚を機に、聖協団相模原キリスト教会に移籍して信仰の育みを受けながら感謝な生活を送っています。


「すでに得たとか、すでに完全になったというのではなく、捕らえようと追い求めているのです。

そうするのは、キリストイエスによって捕らえられているからである。」 新約聖書 ピリピ 3:12


このページの公開日・更新日

公開日 2018年10月18日