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鬱からの解放

鬱からの解放


私は高校生の頃、表向きには明るく振舞い、部活や勉強に打ち込んでいましたが、心の中はいつも暗闇の中を歩いているようでした。

「人生に生きる意味はあるのか」「真実の愛などこの世に存在するのか」そんな哲学的な事を考えていると、その先に続いていく人生に希望を見出すことができない気持ちでした。 ひとつ悩みの種が消えるとまた別のことが気になって…相手を責めたり、落ち込んだり。 そんな時、三浦綾子さんの小説「氷点」を読み、自分が思い悩んでいるのは「罪」の問題であり、「神は存在するのか」「どうやったらたましいが救われるのか」という疑問に対する答えが聖書に書かれてあることを知りました。 キリスト教系の大学に通い、クリスチャンの友人とのバイブルスタディやキャンプを通して、大学生2年の時にイエス・キリストを救い主として受け入れ、洗礼を受けました。 その後社会に出て働き、結婚をして子どもが二人与えられましたが、どこかで常に自分に鞭を打ち、ちゃんと仕事しなければ、いい母親にならなければ…と肩に力が入っていました。 2人目を出産して数か月経ったとき、育児と仕事、家事の両立が難しくなり、かと言って休むことも自分に許さず、急速に自分が壊れていくのを感じました。日に日に眠れなくなり、食べられなくなり、言動がおかしくなっていきました。

神様に祈ることもできなくなり、神は存在するのか?と疑問に思い、自分の死を願うほど精神的に病んでいました。

下された診断名は「産後うつ病」、1か月ほどの入院治療の後に半年間子育てを家族に委ね、自宅療養しました。 病院でただ寝ているだけの日々、子どもたちの世話もできず、何もできない自分に心底苛立ち絶望していた自分に、聖書のあることばが響いてきました。 「わたしの目には、あなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節) それまでの自分は、何か生産的なことをしているから生きていていいのだと思っていました。 鬱で動けない自分は生きている価値がない、とますます自分を苦しめていた心に、神様の無条件の愛が染みわたっていくようでした。 その後、少しずつ精神的にも肉体的にも回復し、今では鬱を経験する前より、ずっと解放された心で生きています。

現代社会は、競争原理で動いていて、私たちは知らず知らずのうちにそのなかに巻き込まれてしまっています。

神様は私たち一人一人を、ユニークに違った個性に造られました。 その個性を受け入れ、自分らしく生きていくこと、それが本当の幸せなのだと思います。

このページの公開日・更新日

公開日 2020年8月31日