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救いの証し

救いの証し


どのような経緯で教会に来るようになったかを話したいので、そのころの事からお話をしたいと思います。


私は23歳(昭和54年)に結婚し、二人の息子が与えられました。 主人は転勤の多い仕事で、川崎から始まり相模原そして、浜松での6年間の生活を終えてこの相模原に戻って来たころには、長男は6年間の約束で山梨での大学生活を始め、次男は小学校4年で転校しました。 この時、主人から、これからの子供たちの教育資金のために働いて欲しいと言われました。
平成9年、友人の勧めで当時、盛んに行われていたヘルパーの養成講座を受講し、その講座を主催していた施設で非常勤として働き始めました。この養成講座との出会いが教会に繋がりました。
この学びの中で対人援助や心理学というものに、とても興味を持ち始めたのです。やがて、ホスピスの働きなどにも、同様に興味を持つように成り始めていました。
仕事をしながら、無謀にも、週に一度(土)、横浜の心理専門学院の夜の部に通い始めました。(若かったのですね。)

そんなある日、新聞の一面に横浜で同じくホスピスの働きをしている「小澤竹俊」先生の記事を目にしました。
私はためらうことなく、新聞社や病院に電話をしました。なんとしても、この先生のお話を聞きたいとの、一心の思いでした。
小澤先生が講師として招かれている講座を紹介されました。もうすでに神様の手の内でした。
小澤先生はクリスチャンでした。先生は、山形大学の大学院を経て医師となり山形南部の教会の伝道集会で救われ、受洗されました。
「タリタ、クミ(少女よ、起きなさい)」という聖書の言葉に出合っています。現在は横浜で、めぐみ在宅クリニックを開院し、ホスピス医として在宅医療を支えておられます。
私を大胆な行動にかりたてのは、このあたりにあったのかもしれません。そして、さらに主催者である、カウセリングサークルの代表の水谷裕子先生も筋金いりのクリスチャンでした。
この先生のもとで、カウンセリングの基本、傾聴を学び、後のボランティアに繋がる事になりました。

このふたりの先生の懸命に生きる姿は圧倒的でした。水谷先生の「教会に行きなさい」とのお勧めにより、私は決心してこの相模原教会に通い始めました。
2006年(平成18)の2月のことです。ドアを開けてくれたのは笑顔の芙美子先生でした。
案内された席で、私は良く解らない思いの中で、ただただ涙が溢れて来ました。そんな私に「あなたも泣いているのね」と優しく声をかけて下さる年配の女性もいました。
この時、石川先生がAさんを紹介してくれました。Aさんは自分のお母さんが、当時、私の働く施設に通っていて、ボランティアとして来られていて、私を知っていたからです。
もちろん私は何も知りませんでした。また、Bさんとも地域の成人学級で顔見知りでした。神様は不思議なお方ですね。
石川先生との学びが始まりました。先生のお忙しい日程の中で、洗礼の時まで続きました。開かれた聖書の言葉は、ヨハネ3:16 神は実に、そのひとり子をお与えなったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。
聖書の中の聖書と言われる、みことばです。

学びと同時に新しい職場が与えられていました。特養に併設された、認知症のデイサービスでした。
特養10年経験した職員の中に、他から私一人が入りました。仕事は自分で見つけてする事と良く言われ、キャリアのスタッフばかりの中で自分の力の無さに精神的にきつく辛い毎日でした。
時にはヒヤリハットを書いたり、送迎の車の帰りはいつも胃の痛みを我慢していました。
11月の末には、とうとうかかりつけの先生に検査を受けてと言われ、始めて内視鏡の検査をうけました。
結果が出るまで不安の日々でしたが、祈りながら示されたのは、自分のこれまでの人生がどんなに自己中心であり、主人に対しての罪もあり、このまま召されるのは嫌でした。
罪のために死を持って裁かれるのも嫌でした。しかし、こんな愚かな私を神様は大きな憐れみと共に守ってくれました。
結果当日、マイクロフイルムを何枚も見せて貰いながら「潰瘍は4個あり出血しそうな中で、不思議なことにもう回復の様子がみられます。
こんな所見はあまりみたことありません。何かあったのではありませんか?」このかかりつけの先生の言葉を聞いた私は、神様がこの病を癒しはじめていると直感し、しっかりしなさい!と言われた思いでした。

こうして、仕事も春まで休職し、治療をしながら沢山の時間を教会で過ごすことになりました。
休職のあいさつをしに出かけた時に、可愛がってくれた主任に「あなたの代わりに誰も入れずに、今の職員で頑張るから必ず帰って来ると約束してね」と言って頂き感謝でした。

そして、学びを終えて、2006年の12月24日に洗礼をうけました。受洗を喜んでくれた水谷先生も、この教会のクリスマス礼拝にみえたこともありました。
気がつけば溢れるほどの恵みの中にありました。15年が過ぎ、当然色々な事がありました。
でも神様の恵みはいつも溢れ、全ての事が益となり、感謝です。
仕事を辞めてからも経済的必要が満たされ、さらにまた家も与えられました。突然肺結核になった次男も癒され、今は小学校の教師として元気に働いています。
その当時、ただ混乱する私に石川先生によって開かれた、み言葉です。

コリント第2 1:10 ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私達を救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私達はこの神に置いているのです。

日々の教会生活にあっても、わたしはなおも赦された罪人にすぎず、頑な思いは今も沢山あります。
でも今の私はあまりくよくよせずどんな事も益にしてくださる主に委ねていける恵みに感謝しています。

R.T

このページの公開日・更新日

公開日 2021年10月28日