牧師からのメッセージ
·
31日 1月 2024
日本はいつできたの?

日本はいつできたの?
神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。
これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。 使徒 17:26~17:28
わたしの目には、あなたは高価で尊い
わたしはあなたを愛している。 イザヤ43:4
聖書には、上記のような記事があります。そして聖書が述べる神様とは、宇宙万物を創造された方であり、そのすべてを支配及び管理されている方です。
ですから今の地上は、人類をはじめ全ての生き物にとってもこんなに素晴らしい環境はありません。自然に暮らす植物も、動物も鳥類や昆虫も神様の恵みを充分に受け止め、生き生きとして生きているのです。
しかし、人間の勝手な都合により、不要とか、害虫とか、雑草等と呼ばれ、薬剤等で殺害し、この地上から消滅してしまった生き物も沢山あります。
農薬の散布などで、トンボもいなくなり、「トンボ取り きょうはどこまで 行ったやら」という俳句もありましたが、今はトンボ自体を見かけません。
私は、小学生の時、蝉の鳴き声が聞こえると体がうずうずして、網を持って出かけていったことでした。お陰様で小学生時代は、虚弱体質だった私は、半ズボンとランニングシャツでトンボ取りや蝉を追いかけて、夏の太陽を充分浴びて健康が与えられました。間もなく、83歳になりますが、すこぶる元気で、現役の働きをさせていただいています。
今は、横山公園の向かいに教会がありますから、幸いに蝉の鳴き声を聞き「あぶら蝉だ! とか、ミンミン蝉鳴き出した」とセミの合唱をも楽しんでいます。横道にそれてしまいましたが、神様は、私たちの小さな頭で理解できるような方ではありません。
人間のように100歳までも生きられないようなお方ではありません。神様というと、白いお髭に杖を突いているおじいさんではありません。神様は宇宙や地球を創造されたお方ですから永遠から永遠に存在されているお方で霊なるお方ですから、人間のように年寄りになることはありません。しかし、神格を持っておられ、感情やお考え、意思などを明確に持っておられます。そして地球の将来ということもきちんと計画されています。それを聖書の預言として書かれてあるのです。
また、神様に似せて創られた人間をこよなく愛しておられ、神の国を実現するまでのご計画もはっきり持っておられます。そして自分の人格の主体である神様を知りたいと求める人には、お会いすることが出来るように道は開かれています。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。
そして意思の疎通ができることを、神様は切に願っていますが、人間の心は、神様とお交わりをもって清くされていくことより、自分の肉体的欲望が現実になることを望んでいるため、人の心が開かれないので、良きお交わりをすることが出来ないのです。
人は、自分の欲望が現実になることだけを求め、ご利益と言われる自分の我欲が満たされることでけが全てなので意思の疎通ができないのです。人が本来の姿に戻り、神様を求める心や謙虚な意思が現れると、神様とのお交わりが素晴らしいものに変えられていくのですが、人はやはり傲慢なのですね。少し謙虚な姿勢を取られると、神様のご神格とわれらの人格との触れ合いがなされていくのですが、なかなか神様の前に生かされていることすら感じられない状態にあります。
ご自分が今生かされているのは、創造主である神様のご愛と恵によって生かされていることだけでも理解できると、ご自分の存在もその意義も価値も解り喜びが溢れて来るのですが、自分で生きている等と、人間はどこまでも傲慢になりたいのですね。
わたしの目には、あなたは高価で尊い
わたしはあなたを愛している。 イザヤ43:4
聖書には、上記のような記事があります。そして聖書が述べる神様とは、宇宙万物を創造された方であり、そのすべてを支配及び管理されている方です。
ですから今の地上は、人類をはじめ全ての生き物にとってもこんなに素晴らしい環境はありません。自然に暮らす植物も、動物も鳥類や昆虫も神様の恵みを充分に受け止め、生き生きとして生きているのです。
しかし、人間の勝手な都合により、不要とか、害虫とか、雑草等と呼ばれ、薬剤等で殺害し、この地上から消滅してしまった生き物も沢山あります。
農薬の散布などで、トンボもいなくなり、「トンボ取り きょうはどこまで 行ったやら」という俳句もありましたが、今はトンボ自体を見かけません。
私は、小学生の時、蝉の鳴き声が聞こえると体がうずうずして、網を持って出かけていったことでした。お陰様で小学生時代は、虚弱体質だった私は、半ズボンとランニングシャツでトンボ取りや蝉を追いかけて、夏の太陽を充分浴びて健康が与えられました。間もなく、83歳になりますが、すこぶる元気で、現役の働きをさせていただいています。
今は、横山公園の向かいに教会がありますから、幸いに蝉の鳴き声を聞き「あぶら蝉だ! とか、ミンミン蝉鳴き出した」とセミの合唱をも楽しんでいます。横道にそれてしまいましたが、神様は、私たちの小さな頭で理解できるような方ではありません。
人間のように100歳までも生きられないようなお方ではありません。神様というと、白いお髭に杖を突いているおじいさんではありません。神様は宇宙や地球を創造されたお方ですから永遠から永遠に存在されているお方で霊なるお方ですから、人間のように年寄りになることはありません。しかし、神格を持っておられ、感情やお考え、意思などを明確に持っておられます。そして地球の将来ということもきちんと計画されています。それを聖書の預言として書かれてあるのです。
また、神様に似せて創られた人間をこよなく愛しておられ、神の国を実現するまでのご計画もはっきり持っておられます。そして自分の人格の主体である神様を知りたいと求める人には、お会いすることが出来るように道は開かれています。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。
そして意思の疎通ができることを、神様は切に願っていますが、人間の心は、神様とお交わりをもって清くされていくことより、自分の肉体的欲望が現実になることを望んでいるため、人の心が開かれないので、良きお交わりをすることが出来ないのです。
人は、自分の欲望が現実になることだけを求め、ご利益と言われる自分の我欲が満たされることでけが全てなので意思の疎通ができないのです。人が本来の姿に戻り、神様を求める心や謙虚な意思が現れると、神様とのお交わりが素晴らしいものに変えられていくのですが、人はやはり傲慢なのですね。少し謙虚な姿勢を取られると、神様のご神格とわれらの人格との触れ合いがなされていくのですが、なかなか神様の前に生かされていることすら感じられない状態にあります。
ご自分が今生かされているのは、創造主である神様のご愛と恵によって生かされていることだけでも理解できると、ご自分の存在もその意義も価値も解り喜びが溢れて来るのですが、自分で生きている等と、人間はどこまでも傲慢になりたいのですね。
このページの公開日・更新日
公開開始日 2024年1月31日tagPlaceholderカテゴリ: