牧師からのメッセージ
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29日 2月 2024
われ聖なれば、汝らも聖なるべし

相模原キリスト教会
われ聖なれば、汝らも聖なるべし
あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と書いてあるからです。 Iペテロ1:15~16
「聖」という字は、良く宗教界で用いられる字です。しかし、現代社会に悪いイメージを残してしまったグループもあります。
さて、最近のニュースを見ると「親が子供を殺した」とか「子供が親を殺した」とか、「人を殺してみたかった」とか仰天するような事件に心が痛みます。
現代人には、良心が亡くなってしまったのかと思うのですがそんなことはありません。しかし、ゲームなどは相手を叩きのめすという感覚で快感を楽しんで、勝てば喜び、負ければ気分が悪くなりで、良心の感覚が鈍くなっていないでしょうか。昔はおてんとう様が見ているとか、おてんとう様に恥じないようにと言った忠告に自制されたものでしたが、今の時代そんな忠告をしてくれる人はいません。
しかし人は、生まれる前から男には精巣、女には卵巣が備えられているように、心にも生まれる前から神様を畏れるという精神的な備えがあるのです。
宗教心は、どんなに原始的な生活している人も持っています。むしろ現代人は、物質的な発展だけを求めて精神的な感覚が失われてしまったのかもしれません。大自然を見ても造形的色彩的美しさだけしか感じられず。如何に開発して儲けるかといった発想しか浮かばないのでしょう。大自然の恩恵に日々生かされているなどの発想もできなくなっているのかもしれません。
私は、牧師として間もなく63年。相模原に住むようになって53年になりますが、日々感謝し、不都合なことも肯定的に受け止め、平安と平和を願いながら相模原の人々が穏やかな生活をすることが出来るように、毎日祈り続けてきました。そして年を取り、体はどんどんと老化するのですが、心の中は不思議な喜びが溢れて来るのです。
若い時には、気付かなかったことも理解できるようになり、年を取ることの幸せを日々感謝しています。そんなことで私も年頃ですからイエス様からご苦労さんだったね。と迎えに来ることになっています。
神の国の指定席もあります。その内、いろいろな方々にお世話頂かなければならないと思いますが、その時は「ありがとう」と言うことが出来ませんから、今「ありがとう」とお礼を述べておきたいのです。
今年の1月1日。能登半島が大地震に襲われ、大被害が発生しました。直接被害を受けたわけではありませんが、被災された方々の事を思うと、言葉に表せない痛みを感じています。亡くなられた方のご遺族にとってもどれだけ辛いか計り知れません。しかし、臨死体験(医学的に死を宣告された方が、息を吹き返す体験)者は、異口同音に、「素晴らしいところであり、幸せで地上の元の生活に帰りたくない」というのです。創造主である神様は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」(イザヤ43:4) と述べています。
よく考えてみてください。あなたという存在は、あなたのご両親を通して今ありますが、その前に、何世代にもわたって続いているのです。あなたは深い神様の節理の中に、あなたが存在しているのです。そしてあなたの存在は、自分のためではなく、隣人を幸せにするためなのです。まさかと思われるでしょうが、事実は誰かが幸せになるために働いているのです。
例えば農家であるなら、自分のために野菜やお米を作るでしょうが、それだけでなく、誰かがそれを買って、その家族の方たちと食べて幸せを感じるのです。どんな仕事も同じです。ですから神様から愛されている者としてあなたの隣の人の幸せを願い、聖く生きたいものです。
すると一番幸せを感じるのはあなたです。あなたの人を幸せにして差し上げたいという願いは、必ずあなたに戻ってくるからです。まずあなたの身近な人を大切にし、助けてあげたら、先ずあなたの心が喜び、受けた人もうれしいもので、善循環が始まります。あなたも小さなことや身近なことから実践してみませんか。
「聖」という字は、良く宗教界で用いられる字です。しかし、現代社会に悪いイメージを残してしまったグループもあります。
さて、最近のニュースを見ると「親が子供を殺した」とか「子供が親を殺した」とか、「人を殺してみたかった」とか仰天するような事件に心が痛みます。
現代人には、良心が亡くなってしまったのかと思うのですがそんなことはありません。しかし、ゲームなどは相手を叩きのめすという感覚で快感を楽しんで、勝てば喜び、負ければ気分が悪くなりで、良心の感覚が鈍くなっていないでしょうか。昔はおてんとう様が見ているとか、おてんとう様に恥じないようにと言った忠告に自制されたものでしたが、今の時代そんな忠告をしてくれる人はいません。
しかし人は、生まれる前から男には精巣、女には卵巣が備えられているように、心にも生まれる前から神様を畏れるという精神的な備えがあるのです。
宗教心は、どんなに原始的な生活している人も持っています。むしろ現代人は、物質的な発展だけを求めて精神的な感覚が失われてしまったのかもしれません。大自然を見ても造形的色彩的美しさだけしか感じられず。如何に開発して儲けるかといった発想しか浮かばないのでしょう。大自然の恩恵に日々生かされているなどの発想もできなくなっているのかもしれません。
私は、牧師として間もなく63年。相模原に住むようになって53年になりますが、日々感謝し、不都合なことも肯定的に受け止め、平安と平和を願いながら相模原の人々が穏やかな生活をすることが出来るように、毎日祈り続けてきました。そして年を取り、体はどんどんと老化するのですが、心の中は不思議な喜びが溢れて来るのです。
若い時には、気付かなかったことも理解できるようになり、年を取ることの幸せを日々感謝しています。そんなことで私も年頃ですからイエス様からご苦労さんだったね。と迎えに来ることになっています。
神の国の指定席もあります。その内、いろいろな方々にお世話頂かなければならないと思いますが、その時は「ありがとう」と言うことが出来ませんから、今「ありがとう」とお礼を述べておきたいのです。
今年の1月1日。能登半島が大地震に襲われ、大被害が発生しました。直接被害を受けたわけではありませんが、被災された方々の事を思うと、言葉に表せない痛みを感じています。亡くなられた方のご遺族にとってもどれだけ辛いか計り知れません。しかし、臨死体験(医学的に死を宣告された方が、息を吹き返す体験)者は、異口同音に、「素晴らしいところであり、幸せで地上の元の生活に帰りたくない」というのです。創造主である神様は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」(イザヤ43:4) と述べています。
よく考えてみてください。あなたという存在は、あなたのご両親を通して今ありますが、その前に、何世代にもわたって続いているのです。あなたは深い神様の節理の中に、あなたが存在しているのです。そしてあなたの存在は、自分のためではなく、隣人を幸せにするためなのです。まさかと思われるでしょうが、事実は誰かが幸せになるために働いているのです。
例えば農家であるなら、自分のために野菜やお米を作るでしょうが、それだけでなく、誰かがそれを買って、その家族の方たちと食べて幸せを感じるのです。どんな仕事も同じです。ですから神様から愛されている者としてあなたの隣の人の幸せを願い、聖く生きたいものです。
すると一番幸せを感じるのはあなたです。あなたの人を幸せにして差し上げたいという願いは、必ずあなたに戻ってくるからです。まずあなたの身近な人を大切にし、助けてあげたら、先ずあなたの心が喜び、受けた人もうれしいもので、善循環が始まります。あなたも小さなことや身近なことから実践してみませんか。
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公開開始日 2024年2月29日tagPlaceholderカテゴリ: