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いのちの泉はこれから湧く

お題:いのちの泉はこれから湧く

聖書箇所:箴言4章20~23節、ローマ書10章17節

中澤竜生(なかざわたつお) 

 

私は、実際に突発的な災害を経験しました。

あの日、何が起きているのか、これからどうなるのか、まったく分からず、ただその場に立ち尽くすしかありませんでした。

不安と混乱の中で、「人間って、本当に無力なんだなぁ」と痛感しました。

 

でも、そんな状況の中で、不思議と私の心の奥には、静かな支えがあったんです。

それは、日頃から心に蓄えてきた「聖書のことば」でした。

教会に通い続けてきたこと、日々、聖書を読み、耳を傾けてきたこと…

そういう積み重ねが、いざという時に、心の土台になるんだということを深く実感しました。

 

信仰というのは、単に安心を与えてくれるものではなく、起こった出来事と向き合い、歩き出す力を与えてくれるものなんですね。

神のことばを聞き、覚え、備えてきた日々が、非常時のただ中で、私を支え、導いてくれた――本当にそう思います。

 

だから私は、自分の体験から、できるだけ多くの方にこの「神のことば」を握って生きてほしいと願い、今もその働きを続けています。

私はこの働きを「宣証(せんしょう)」と呼んでいます。

「聖書のことばを伝え、行動や生き方を通して証しする」――そういう意味を込めています。

 

そして、東日本大震災以降、仙台宣教センターでも「みことばに訊く」という標語を掲げてきました。

人生の歩みの中で、神のことばに耳を傾け、そのことばによって備えられ、支えられていく――それこそが、信仰者の歩むべき道だと、私は信じています。

 

 

ここで御言をおよみします。

 

わが子よ、注意して私のことばを聞け。私の言うことに耳を傾けよ。

それらを見失うな。自分の心のただ中に保て。

それらは、見出す者にとっていのちとなり、全身の癒やしとなるからだ。

何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。

箴言 4章20~23節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 

箴言っていうのはね、今からだいたい紀元前10世紀(3000年)ごろから、紀元前5世紀ごろにかけて、少しずつ形づくられてきたものだと言われています。特に前半の1章から9章までは、あのイスラエルが一番栄えていたソロモン王の時代に、ダビデ王の息子ソロモンが語った「知恵のことば」として伝えられてきたんですね。

 

このあたりは、まさに「父が子に語る知恵の教え」という形で書かれていて、家庭での生き方とか、人生の歩み方の基本をやさしく、時には力強く語りかけてくれているところなんです。

 

特に箴言の4章20節から23節に出てくる言葉は、とても大切なメッセージが詰まっています。そこでは、「心の大切さ」や「ことばや思いを慎むこと」、そして「人生を左右するような大事な選択は、心から始まるんだよ」ということが語られているんです。

 

その中でも特に響いてくるのが23節のことばですね。

「何を守るよりも、自分の心を見守れ。そこに命の源がある。」

 

これは、行動や決まりごとをちゃんと守ることも大事だけど、それ以上に大切なのは、私たちの心そのもの、つまり心の中にある動機や姿勢がどうかということなんだよ、と教えてくれています。とても深いし、霊的にもすごく先を行っている教えだなと感じます。

 

そしてこれは、何千年も昔のイスラエルの話だけじゃなくて、今を生きる私たちにも、そのまま大切な人生の指針として受け取ることができる、そんなことばだと思うんです。

 

 

ここである歴史人物を紹介します。

 

 

 

第二次世界大戦下のコリィ・テン・ブーム(Corrie ten Boom)

 

第二次世界大戦のとき、ナチス・ドイツがユダヤ人を激しく迫害していた時代のことです。

オランダのハーレムという町に、コリィ・テン・ブームというクリスチャンの女性がいました。コリィとその家族は、聖書の教えに従って、苦しんでいる人たちを助けるために立ち上がったんです。

 

彼らは、自分たちの家の時計店の2階に「隠し部屋(The Hiding Place)」を作って、ユダヤ人やレジスタンスの仲間たちをかくまっていました。いざという時にすぐ隠れられるように工夫された小さな部屋で、食べ物や偽の身分証明書を用意したり、逃げ道も考えたりして、本当に命がけで助け続けたんですね。

 

その行動の原動力は、「苦しんでいる人を助けるのは当たり前のこと」「神さまはすべての人のいのちを大切に見ておられる」という、聖書に教えられている価値観だったんです。

 

でも、やがてその活動がバレてしまって、一家は逮捕されてしまいます。お父さんのカスパルさんは獄中で亡くなり、コリィと姉のベッツィは強制収容所に送られてしまいました。

 

そんな過酷な状況の中でも、コリィはこっそり持っていた聖書を開いて、仲間の女性たちと一緒に神さまのことばを読んで、祈って、励まし合いながら生き抜いていきました。彼女を支えていた聖書の言葉は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」(テサロニケ人への手紙第一5章16~18節)というみことばでした。

 

残念ながら、姉のベッツィは収容所で亡くなってしまいますが、亡くなる前まで「どんなときでも赦しと愛を選びなさい」と語っていたそうです。

 

そして戦後、奇跡的に釈放されたコリィは、自分の体験を通して「赦し」や「和解」の大切さを伝えるために、世界中をまわって講演をしたり、本を書いたりして、神さまのことばの力や生きる希望を証しし続けました。

 

コリィ・テン・ブームの生き方は、「聖書のことばに立って生きるとはどういうことか」「どんな苦しみの中でも愛と希望を届けることができる」ということを、今も私たちに語りかけてくれているんですね。

 

 

続いて御言を見ましょう。

 

ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。

ローマ人への手紙 10章17節 聖書 新改訳2017©2017

 

ローマ人への手紙っていうのは、使徒パウロが書いた手紙の中でも、とくに有名で大切にされているものの一つです。書かれたのは紀元57年ごろ、第3回目の伝道旅行の途中、コリントという町に滞在していたときだと言われています。

 

この手紙の宛先はローマにいたクリスチャンたち。多くは異邦人(ユダヤ人以外の人たち)でしたが、ユダヤ人信者も含まれていました。パウロはこの手紙で、福音の真理や救いについて、ものすごく分かりやすく、そして体系的に語っているんです。

 

特にローマ10章では、「なぜユダヤ人は福音を受け入れないのか」とか、「人はどうやって神さまの前で正しい者とされるのか」「信仰ってそもそもどこから来るのか」――こういう大事なテーマが語られています。

 

パウロが強調しているのは、「人は行い(律法を守ること)で救われるんじゃない。イエス・キリストを信じる信仰によって救われるんだ」ということです。

 

そして、ローマ10章17節に、こう書かれています。

「ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」

 

つまり信仰っていうのは、自分の内側からなんとなく湧いてくる感情とか思いつきじゃないんですね。神さまのことばが語られて、それを聞いたときに、心に芽生えてくるものなんです。これはパウロが自分の宣教の中で何度も体験してきたことでした。

 

福音は、誰かが語らないと伝わらない。語られたら、誰かがそれを聞かないといけない。そして、聞いた人の心に信仰が生まれていく。この流れは、昔も今も変わらない福音宣教の基本的なスタイルなんですね。

 

この聖書の教えは、実は歴史の中でも多くのクリスチャンに影響を与えてきました。特に有名なのが、宗教改革者のマルティン・ルターと、メソジスト運動を起こしたジョン・ウェスレーです。

 

ルターは16世紀、当時ラテン語でしか読めなかった聖書をドイツ語に翻訳しました。誰でも神さまのことばを聞いて学べるようにしたんですね。そして「信仰は神のことばを聞くことから始まる」というこの聖句に立って、教会の腐敗に立ち向かい、福音の回復を訴えました。

 

ウェスレーは18世紀のイギリスで、自分自身が聖書のことばを聞いて心が熱く変えられる体験をしました。そこから各地を回って、町の広場や野外で、多くの人に神のことばを語り続けたんです。

 

この二人に共通しているのは、「語られること」と「聞かれること」の大切さを、人生をかけて実践したということです。

 

つまり、ローマ10章17節にある「信仰は聞くことから始まる」というパウロの教えは、彼らの生き方や働きを通して、今も私たちに「その通りだよ」と力強く語りかけているんですね。

 

まとめ

今日お話ししてきたことを、もう一度心に留めたいと思います。

 

私たちの人生には、思いがけない出来事や、自分ではどうすることもできない状況が起こることがあります。私自身も、震災の体験の中で「人は本当に無力だ」と痛感しました。でも、そのただ中で、私を支えてくれたものは、やはり「神のことば」でした。

 

箴言のことばは語ります。

「いのちの泉はこれから湧く」と。

心を見守り、御言葉を蓄える人のうちに、これからも新しいいのちの力が湧き出てくる、と。

 

そしてローマ書のことばは教えます。

「信仰は聞くことから始まる」と。

誰かが語り、誰かが聞き、そのことばが心に届いたときに、信仰が芽生え、いのちが育まれていく。

 

だからこそ私たちは、日々、神のことばに耳を傾け、心に蓄え、そしてそのことばに生かされて歩んでいきたいのです。

 

あなたの人生にも、神のことばという「いのちの泉」は必ず湧き出てきます。これから湧いてきます。今がどんな状況であっても、その備えは決して無駄にはなりません。むしろ、これからこそ、その泉は豊かに流れ始めると信じます。

 

どうぞ皆さんお一人お一人が、心に神のことばを蓄え、そのいのちの泉を持って歩んでいかれますように。そう心から願い、祈りつつ、今日のお話を閉じたいと思います。

 

ありがとうございました。

 

 

 

祈り

 

恵み深い天の父なる神さま。

あなたが私たちに、いのちのことば、福音のみことばを語り続けてくださることを心から感謝いたします。

かつて歴史の中で、マルティン・ルターやジョン・ウェスレーのように、あなたのことばを正しく語り、人々がそのことばを聞いて信仰へと導かれる働きをなしてくださったことを覚えます。

神さま、どうか私たちもこの時代にあって、語られるみことばに心を開き、耳を傾け、あなたの語りかけに応答する者とならせてください。そしてまた、私たちのまわりにいる人々にも、あなたの愛と真理を語り届ける者とならせてください。

「信仰は聞くことから始まる」と教えられたように、私たちが日々あなたの声に聞き従い、そのみことばによって新たにされ、励まされ、強められて歩むことができますように。

 

主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。

アーメン。